結婚記念日にノリ弁食べながら幸せについて考えてみた。
公開日:
:
家族
Warning: Use of undefined constant user_level - assumed 'user_level' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/yurufuwacpa/www/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 524
四回目の記念日でした
今日は四回目の結婚記念日でした。
僕も妻もこのところ仕事と育児に忙殺気味で、ふたりとも完全に忘れていました。僕の親からおめでとうのメッセージが届き、やべっ、忘れてた(;゚д゚) と焦ったんだけど、お互い忘れててよかった。
片方だけ覚えていると、悲劇の始まりですからね。。
記念日ディナーはノリ弁
今日のディナーはオリジン弁当のノリ弁でした。
食事の準備にまったく手が回らない状況で、もともと記念日なんてスッカリ頭から消えていたので、ソーメンでも茹でるか、なんて朝には話していた。
けれどお互い今日は仕事がタフで疲れ切ってしまい、ソーメンを茹でる気力さえなく。
もうノリ弁でいいよ、ノリ弁で、と半ば投げやりな感じで決まる。
息子くんが生まれる前は、わりときちんと祝い事をする夫婦でした。結婚記念日には、結婚式を挙げたホテルニューグランドで盛装してディナーをしたりと、それはそれで幸福な日々だった。
時間的にも経済的にも今よりはるかに余裕があったし、結婚したとはいえ気分的には恋人の延長みたいなもので、かなり気楽な生活を送っていた。
では今日のノリ弁と当時のフレンチを比べて当時のほうが幸せだったかと考えると、そんな単純な話でもない。
またそれは、「子どもがいる幸せは何事にも代え難い」といったような、ステレオタイプの感情でもない。
子どもと過ごす時間が幸福であることは紛れもない真実なんだろうけれど、それと引き換えに失ったものだってたくさんあるのは事実だ。
仕事の質も落ちるし、自由に海外に遊びに行くこともできないし、節目節目で高めのレストランに行くことも叶わない。
いやそんなの必要ない、子どもさえいればそれで幸せなんだ、という人もいるんだろう。それについて僕が文句を付ける筋合いは、もちろんない。
でも僕はそういうふうに何かを絶対化する思想にある種の暴力性を感じてしまうタチなので、そんなふうに言い切ることもできない。
ノリ弁食ってる今のほうがハッピー!
って単純に感じられれば、メデタシメデタシなんだけどね。
でも僕はこの、もにゃっとした割り切れなさを、愛おしく思うし、大事にしたいわけなんです。
記憶のフィルターを通さないと幸福かどうかはわからない
でも記憶というフィルターを通してしまうと、そういうもにゃもにゃぐにゃぐにゃした感情は、適当にかたちを整えられ埃を払われ、しかるべき所に落ち着いて行く。
だから自分の記憶のアーカイブを覗いてみると、あたかも自分の過去が意図をもって編み上げられたひとつの物語のように見えてしまう。
人間の脳は、もにゃっとしたものを長い間もにゃっとしたままにしておくほどの、体力?がないんだろう。
どれくらい先の未来になるかはわからないけれど、今の僕のこのもにゃっとした感情も、何かしらの意味を与えられ、ラベルを貼られて保管されることになる。
あの時は大変だったね、でも幸せだったね、記念日にノリ弁なんて食ったよね、と笑い話にできるような未来になっていればいいな、と思う。
そしてそんな未来を作り出していくために僕が今できるのは、妻と支え合って怒涛の日々を切り盛りしていくことだけだ。
おわりに
えー、特にオチはなくて申し訳ないんだけど、妻愛してるよってことで、記念日の挨拶にかえさせていただきますヽ(´ー`)ノ
共感いただけたらお手数ですがポチッとしていただけると中のひとが喜びます♪ヽ(*´∀`)ノ
Posted from するぷろ for iOS. by @kensuke0724