仕事と育児の両立が不要な社会はホントに理想郷か?
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ワークライフバランス, 家族
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photo credit: happykiddo via photopin cc
両立したいんじゃなくて、せざるを得ない
著名ブロガーちきりんさんの記事が話題になりました。
仕事と家庭の両立なんて、目指すのやめたらどう? – Chikirinの日記
これについて、最近両立しんどいなーと感じている僕が思うところを書きます。
ちきりんさんの主張のエッセンス
詳しくは本文を読んでいただければと思うのですが、主張のエッセンスは次のとおり。
ものすごく大変な思いをして夫婦のキャリアも維持し、育児もがんばる夫婦に対して、
つまり夫婦ふたりとも、勤める会社にも能力にも健康にも恵まれ、見事、
「仕事と家庭の両立に成功してる」
わけです。
で、あたしの質問は、「みんなホントにこんな生活がしたいの? これが理想?」 ってことです。
そして本来あるべき社会は、
「仕事と家庭が両立できる社会」ではなく、
「両立なんてできなくても、なーんら問題のない社会」を目指したほうがいいのでは?
「 23歳で新卒就職した会社に 65歳までの 42年間、勤め続けなければならない」という前提の上で家庭と仕事をむりやり両立させようとする社会ではなく、
数年間のインターバルや、非正規雇用の時期や、(夢を追うとかモラトリアムとか含め)人生において個人的な試行錯誤をしていた数年間を挟んでも、いつでもやりがいと適切な報酬を得られる仕事に戻れる、そういう流動性の高い社会をこそ目指すべきでは?
と述べています。
そしてそのような社会になっていない原因は終身雇用を前提とした硬直的な労働市場である、と。
反対意見が多い印象
これに対しては、Twitterなんかを見ていると反対意見が多いような印象を受けました。
もちろん僕のフォローしている方々の反応をさらっと読んだだけなので、反対意見が多いと断定することはもちろんできません。
反対意見の理由として、主に二つの観点があったと感じています。
ひとつは、必死に仕事と育児を両立させようと頑張っている人たちをdisるのはどうよ? というようなもの。
もうひとつは、そこで述べられている意見が現実離れしすぎてるでしょ、というツッコミ。
現実離れの例として、
(関西に転勤になった妻についていくために夫が仕事をやめ、その後関西で就職し)
何年か関西で働いた後、男性側が勤める企業がアジア進出を決め、男性に香港で仕事をしないかと提示。おもしろそうな仕事だということで、今度は女性が会社を辞めて、一家全員で香港に引っ越す。
香港で最初の一年、女性は現地の大学付属の語学学校に通い、英語と中国語を習う。香港では安くお手伝いさんも雇えるので、家族の時間も確保できる。
その後、女性は香港で新たな職を見つけて働き始める。
といったくだりが槍玉に上がっていました。
確かにこんな事例は極めて稀だとは思いますが、例え話というのは極端なほうがわかりやすい。
この記事でちきりんさんは、硬直的な労働市場から流動的な労働市場への転換を主張しており、労働市場が流動化するとこんなことも起こるんじゃないの? という話を書いているので、現実離れしていて当然だと思います。
僕が簡単に賛成とは言えない理由
僕はこの記事を読んだ時に感じたのは、ロジックとしては筋が通っているし、現実がどうかではなく、あくまでどんなゴール(社会のあり方)を目指すかという観点からは、一概に批判されるものでもないのかな、ということです。
でも後からゆっくり考えてみて、この意見には簡単に頷くことができないな、と考えを改めました。
これは結局のところ、 勝ち組の意見だからです。
考えてみてください。
仮にちきりんさんの言うような労働市場が完全に流動的になったとき、上の例え話で言えば香港にお呼びがかかる夫や、英語と中国語を習得できる妻がどれくらいいるでしょう?
ごくごく限られた一部の優秀な方に限られるのは想像に難くありません。
今現在だって、このような働き方をしている人はいます。そういう意味では、この例え話が非現実的なのではなく、現実となってもその利益を享受できるのがごく限られた層だというのが問題なんですよね。
日本の雇用システムは批判ばかりされています。
23歳で新卒就職した会社に 65歳までの 42年間、勤め続けなければならない
とここでも当然、否定的に捉えられています。
確かに日本的な雇用システムは機能不全なところが多いし、生産性は低く国際競争力を落としている原因でしょう。
しかし大多数を構成するフツーの人々にとっては、この悪しき慣習から得られるメリットのほうが大きいはずです。
42年間勤め続けなければならない、のではなく、勤め続けることができる、という捉え方を忘れすぎてはいないか。
今後、日本の経済を支えていくためには移民の導入が不可欠と議論もされています。労働市場の流動化と移民導入で何が起こるかと考えれば、日本の単価の高い労働者から単価の低い移民へのリプレイスでしょう。
そうなったときに、リプレイスされた人は次の労働ポジションを得られる可能性は極めて低くなります。
労働市場の流動化がもたらすのは、一部の優秀な人材がポンポンとステップアップして豊かな生活を享受する一方、大部分の人々は上昇のチャンスを得られないままレイオフされる、二極化した世界です。
その中で勝ち組になれない大多数の人々にとって、子育ては今よりはるかに困難なものになるはずです。
そして僕自身はといえば、そんな過酷な競争的環境になったときに、勝ち組になれる自信は残念ながらありません。
というわけで、労働市場が硬直的な現実世界でも、労働市場が流動化された理想郷の世界でも、僕が両立しないでハッピーになれる可能性なんて、ほとんどないのですよね。
だからどんなに苦しくても、大変でも、両立していくしかありません。
それが最大限、僕のできるリスクヘッジだからです。
おわりに
なんだか鼻息荒い記事になっちゃったけど、僕はやっぱりフツーの人がフツーにハッピーな社会が望ましいです。
がんばった人が極端なインセンティブを得て、その他大勢は辛い、そういう世界は暮らしにくい。
そんな社会をキープするには、みんながちょっとずつがんばって、ちょっとずつ嫌なことを我慢し、ちょっとずつ他人を思いやっていく。
そゆ地味なことでしか達成できないんだと思います。
世界を劇的に良くするアイデアって、そう簡単にはないです、残念ながら。
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Posted from するぷろ for iOS. by @kensuke0724