VERY5月号に哲学者國分功一郎さんの保育園論が掲載されています。クローバーナイトと合わせて読もう!
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保育園
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コミュニティとしての保育園
短い論考だけど読み応えあり
VERY2014年5月号に哲学者國分さんの保育園論が掲載されています。
國分さんは17世紀の哲学およびフランス現代哲学を専門とされる哲学者ですが、その一方で現代社会の分析も精力的に行われている方です。
参考:Wikipedia
今回の論考はご自身のパパとしての立場にも立脚した現代社会の論点としての保育園論であり、短いながらも示唆に富んだ内容です。
印象的なフレーズを少しだけ
読んで僕の印象に残ったフレーズをいくつか紹介します。全体としても3ページと短いので、ぜひ手にとって全文読んでみて下さい。
家族の中のある特定のメンバーひとりに子育てを背負わせるようになったのは、最近のことだとわかります。そのメンバーとは主婦のことですが、専業主婦が一人で子どもを育てるというのは、ここ40~50年くらいの都市部に限られた現象
一人で子育てするのは困難だと理解しておくこと、様々な仕方で手助けを得られる可能性を確保しておくこと
「自立は依存先を増やすこと」(中略)子育てに関しては、依存先を増やしていくための一つの拠点として保育園が重要
育児におけるコミュニティの重要性を、國分さんは明解なロジックと柔らかな語り口で論じられています。
これは一時期声高に主張された、育児は家庭で行うべきといういわゆる伝統的育児という考えに対するアンチテーゼになっています。
先日のベビーシッターの事件でも、母親個人を責める声も上がりました。
あるいは、なくならない虐待。そんなニュースを聞くたびに、僕は決して他人事ではないなと感じます。
誤解を恐れずに言えば、自分がそんな立場になっていても、決しておかしくはないな、ということです。
もちろん虐待したいとか、そういう意味ではないです。
自分が子どもを今のところ愛して曲がりなりにも育てて来られたのは、上の言葉を借りれば、依存先が多かったからです。
妻を始めとして、お互いの両親やきょうだい、イトコ、そして通い始めたばかりの保育園の保育士さんや保育園パパさんママさんたち。
そして、その境遇は、自分の努力という面もありますが、偶然によって与えられている要素も多々あります。
それを考えると、自分と、虐待をしてしまう親との間の壁は、本当に薄っぺらいものだと感じます。
僕は元来、人付き合いをあまり好まない人間なのですが、育児を始めて以来、コミュニティの大切さを実感しています。
こうやってブログを書き続けている意味のひとつも、そこにあります。
VERYは構成がうまい!
そして、國分さんの保育園論の次にくるのが、先月から始まったクローバーナイトなんですね。
子供が同じ習い事だったり、同じ保育園に通っていたりしなければ絶対に接点がなかったであろう人たちと知り合えるというのは、なかなか貴重な体験だ。
と、保育園のコミュニティとしての機能に対する言及が。
國分さんの論考は読みやすいとはいえ、やはり哲学がベースなので難しいと感じる人もいるかもしれません。
んー、難しいなと感じた後で、辻村深月さんの小説が待っている。そしてその内容は、國分さんの議論を反芻できるものになっている。
二つを合わせて読めば、理解も深まるというものです。
この構成はVERYの編集部に拍手ですね。
おわりに
余談ですが、僕も学生の頃は哲学科に籍をおいて哲学者になりたいと思っていました。その当時は自分が会計士になるなんて、露ほども想像できません。
未来は何が待っているかわからないから面白いのですね。
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Posted from するぷろ for iOS. by @kensuke0724