育児休暇取得を迷っているイクメンさんへ。僕が育休を取って得た5つの素敵なこと。
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ワークライフバランス, 家族
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育休とって、ホントによかった!
2014/1/1より始まった育児休暇も今日で終わりです。厳密には4月の二週目まで休みであるものの、これは保育園の慣らし保育のために急遽延長したものです。息子くんと一つ屋根の下でずっと一緒、という生活は実質的に今日までだし、気分的にも今日で一区切りなので、これまでの3ヶ月で得た素敵なことを記しておきます。
いつもの記事より長くなりますが、これから育児休暇を取ろうか迷っている男性のイクメンさんの背中を押す応援ソング的な意味合いも込めていますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
愛が育っていく過程をありありと実感した
photo credit: ‘PixelPlacebo’ via photopin cc
僕は今、息子くんを溺愛しています。その愛はマリアナ海溝より深く、そして日々、深度を増しています。妻からは「あなた馬鹿じゃないの」と呆れられるくらいの親馬鹿ですが、最初からそうだったわけではありません。
宇宙がビッグバンで始まり時間とともに膨張していったように、あるいは小さな種子が時間とともに成長し花を咲かせるように、僕の息子くん愛も時間を重ねるごとに育っていきました。
赤ちゃんがかわいいだけの存在ではない、とはよく言われることです。そしてそれは最初に育児にフルコミットしていた妻からもさんざん聞かされたことです。子どもがかわいく見えない、まるでモンスターに感じる、育児が辛い。そんな言葉を聞いても、そんなものかと思うだけで、実感することはできませんでした。
僕が仕事をしていて育児を「手伝っていた」頃は、素直に息子くんを「かわいいな」と感じていました。愛というには稚拙な感情です。
しかし、実際に自分が育児の主体的な担い手となってからすぐの頃、その「かわいいな」という感情すら危うくなりました。
そもそも赤ちゃんは、異物としてこの世界に誕生します。文字通り母親の胎内では異物であり、母親はそれを排除しようとする。その生理反応が悪阻となって現れる。外界へ出てからも同じです。夫婦にとって、最初は赤ちゃんは異物以外の何者でもありません。
育児とは、その異物を自分たちの生活に受け容れていく過程です。
最初からすんなりその異物性を受け容れられる人もいるかもしれません。でも少なくとも僕にとっては、最初は難しいことでした。僕が育児休暇に入った頃は息子くんは生後九ヶ月あたりで、ずいぶん人間らしさも生まれていました。それでも息子くんとコミュニケーションをとることは難しく、息子くんが何を求め、何を不快に感じているのか、なかなか理解できません。
そのディスコミュニケーションは大きなストレスをもたらします。ストレスを解消するには方法はひとつしかありません。
とにかく時間を重ねること。
最初はぜんぜん理解できない赤ちゃんの仕草や声の意味が、だんだんわかるようになってきます。拙いながら、コミュニケーションが生まれてきます。コミュニケーションが生まれれば、信頼関係ができてきます。信頼関係は、愛への第一歩です。
人間は弱い生き物で、ひとりでは生きていけません。人間関係の網の目の中で、求め、求められるという相互作用の中で、愛が育っていきます。息子くんが僕を親として信頼し、僕を求めると同時に、僕は息子くんを必要とし、求めるという関係が生まれます。
いちどその関係の車輪が回り始めると、どんどん加速していきます。息子くんは急速にパパっ子になり、僕は超がつく親馬鹿になりました。
その愛が生まれ、ダイナミックに成長していく過程を経験できたことは、僕の一生涯の宝物だと思っています。
五感が鋭くなり、世界が豊かになった
photo credit: RiOTPHOTOGRAPHY.com via photopin cc
赤ちゃんとずっといっしょにいると、嫌でも感覚が鋭敏になっていきます。
例えば夜中、赤ちゃんが泣き出すとき。僕は育児をやり始めた頃、御多聞に漏れず、泣き声に気づかずに寝ていることも多々ありました。妻から何度も、ずっと鼾をかいていたと怒られた記憶があります。
しかし主体的に育児に関わるようになってからは、そんなことはなくなりました。赤ちゃんが実際に泣き声を上げる前の、微妙な呼吸の変化や身体の震えを敏感に察知し、最初の一声を出す前に目を覚ますようになります。そしてまた、僕はまとまった睡眠がないと生きていけないタイプの人間だと思っていたのですが、夜泣き対応で細切れの睡眠しかとれなくても平気な身体へと変化しました。
また赤ちゃんは周囲の環境に対して敏感で、温度や湿度が不快だと泣き止まないことも多々あります。自分が今身をおいている環境がどうなっているのか、嫌でも感じ取っていかなければなりません。
あるいは散歩に出かけたとき。赤ちゃんにとって世界はまだ新鮮で驚きに満ちたものです。大人になった僕たちが当たり前だと感じているちょっとした風景を、食い入るように見つめる場面に多く出会います。そんなとき、自分も赤ちゃんになったつもりで、あらためて世界に対面してみましょう。
世界がこんなにも美しく、おどろきに満ちたワンダーランドなんだと、気づかされます。
仕事をしているときには目の前の作業に忙殺されて、ゆっくり空を見上げたり、新しい季節の最初の風のにおいを感じたり、川のせせらぎに耳を傾けたりする余裕はなかなかありません。
でもゆっくりとベビーカーを押しながら、世界へゆったりとした眼差しを向けてみると、この世界の持つ様々な表情に心を打たれます。
時間の尊さを知り、自分の人生を見つめなおす機会を得た
photo credit: Βethan via photopin cc
赤ちゃんの成長には、月並みな表現ですが、日々目を見張るものがあります。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。明日はまた違ったことができるようになる。逆に、昨日通じたルールが、今日は通じない。明日はまた違ったルールになる。寝かしつけひとつとっても、日々、対応は変わっていきます。
それだけ、このちいさな身体の中を流れる時間には重みがあるということです。生まれたばかりの赤ちゃんには、時間は与えるものは多いけれど、奪っていくものは何もありません。
そこでふと気づくわけですが、その同じ時間が、僕にも流れていくわけですね。
若い頃は、それこそ時間なんて無尽蔵に湧き出る泉の水みたいなもので、いくら無駄にしてもしすぎることはない、くらいに感じていました。しかし今はもう、それほど若くはない。
時間が僕に与えてくれるものより、奪っていくもののほうが、多くなってくる年齢になってきました。きゃっきゃと無心に時間とたわむれる息子くんを見ながら、自分が人生に何を求めるのか、プライオリティをどこに置いてこれから生きていくべきなのか、真剣に考える機会になりました。
もちろん今後もゆるふわ~っと生きていくことに変わりはないとは思うのですが、それでも、これまでのようにふらふらしないで軸足はどこかに置くべきだろう、と。
仕事が再開し、日々の業務に追われるようになっても、この時間に対する意識だけは、失いたくないと考えています。
妻へ、両親へ心から感謝の気持ちを抱くようになった
photo credit: cutetape via photopin cc
妻に対しては、二重の意味であらためて感謝の念を抱くようになりました。
一点目は、今よりずっと大変だったであろう新生児から九ヶ月までの息子くんを立派に育ててくれたこと。二点目は、僕が育児休暇をとることに賛成し、その機会を与えてくれたこと。
特に後者については、大変な苦労をかけていると思っています。
以前からこのブログでも主張しているとおり、男性の育児休暇取得に僕は賛成の立場ですし、今後、どんどんそういう男性が増えていけばいいなと考えています。そして男性の取得率が低いという話になると、男性の職場での理解が得られないから…といったように、男性側の視点だけで語られがちです。
しかし実際に男性が育児休暇をとってわかることは、男性の育児休暇取得は、ある面においては女性側の負担で成立しているということです。
育児休暇を夫婦同時に取得する場合もあるでしょうが、たいていは経済的理由により、スイッチで取ることになるでしょう。つまり、男性の育児休暇取得と同時に、女性が復職することになります。もちろんこれは、長期的には望ましいことだと考えています。しかしながら出産~育児のもたらす体力的・心理的ダメージはかなり大きなものがあります。
妻は復職直後から会計士業界の繁忙期に突入し、帰宅が遅くなる日々がつづきました。専門職は復職に有利だといわれますが、実際そのとおりである反面、ブランクができると専門スキルが落ちているため、キャッチアップに苦しみます。妻も体調が万全でない中、さらに知識・技能のアップデートに相当のストレスを感じたと思います。
僕がこうして育児休暇を取得し、息子くんのきゃっきゃうふふと充実した時間を過ごせるのは、ひとえに妻の頑張りがあるからです。これについてはいくら感謝してもしすぎることはありません(余談ですが僕はこの~してもしすぎることはない、という中学校の英語で習った構文が好きでよく使います)。
そんなわけで、男性の育児休暇取得を考えたときには、女性側の復職時のケアという論点も忘れずに考えていく必要があると感じました。
また息子くんを育てているときは当然自分が親の立場なわけですが、同時に僕は自分の両親にとっては子どもの立場なんだという、当たり前の事実について、考えを及ぼす機会が増えました。
息子くんはこのブログで何度も取り上げているようにアトピっ子であり、ネンネが下手で、おまけに食物アレルギーも発覚しました。手がかからない、とは言いづらい子であることは確かです。
しかし僕自身も、赤ちゃんの頃は夜泣きばかりで、ミルクもろくに飲まず、おまけに小児喘息で入院をくりかえすような子どもでした。育てにくかったであろう僕をここまでなんとか育て上げてくれた両親には、感謝の念が絶えません。
先日ふと、両親に「保育園に行く息子が心配だ」と漏らしたことがあります。そのときに父が言った言葉が印象的でした。
親というのはいくつになっても子どものことを心配するものだ。俺は今でもお前のことを心配するよ
冒頭に書いた言葉に戻ります。
「人間は弱い生き物で、ひとりでは生きていけません。人間関係の網の目の中で、求め、求められるという相互作用の中で、愛が育っていきます。息子くんが僕を親として信頼し、僕を求めると同時に、僕は息子くんを必要とし、求めるという関係が生まれます。」
これは僕と息子くんだけではなく、当然、僕と両親の関係にも当てはまることです。これまで僕をしっかりと守り育ててくれ、信頼関係を築いてこれた両親に、心から素直に感謝できるようになりました。
最後のひとつの素敵なこと
photo credit: ladytimeless via photopin cc
さて、これまで4つの素敵なことを紹介してきました。
最後のひとつは、あえて書きません。実際に育児休暇をとってみて、ぜひ自分で見つけてみてください。
これだ!というのがわかりましたら、僕にご一報いただければ幸いです。
おわりに
長々と書きましたが、最後までお付き合いいただいた方は本当にありがとうございます。
ふだんの記事はすべてiPhoneから更新しているのですが、この記事は初めてPCで書きました。長くなったのはそのせいでもあります。
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